ゼネコン倒産、南の島移住、宮崎帰郷、転職8回、メラノーマ(悪性黒色腫:10万人に1人のガン)闘病中、職場復帰、何度転んでも立ち上がる56歳のおとうさんです!死を覚悟してからは強くなった。みんなで楽しく生きよう!
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これまで書いてきたエッセイを少しずつ紹介していきます。


 第3章 【妻の子宮内膜症】



 広島での楽しい思い出と辛い思い出はもうひとつあります。

広島に転勤した当時の思い出は前出のとおりで、楽しかったことが多々あり、そんな穏やかで、幸せな日々がいつまでもつづいてくれれば良かったのですが、やはり、「人生万事塞翁が馬」。なんですね、幸せばかりはつづきません。

妻がようやく張り切り始めた、二〇〇一年三月のことです。腹痛や体調不良を訴えはじめ、近くの診療所で診てもらったところ、子宮内膜症とチョコレート膿腫と診断されました。紹介状をもらって広島市民病院へ行き、MRIで詳しく検査してもらったところ、子宮内膜症には四段階の進行があって、妻の場合はもうすでに、第三段階にきている、とのことでした。

もっと早く診察すべきでした。そして女性の方は、特に若い人も婦人科検診は毎年受けた方が良いです。

妻の場合、手遅れに近く、手術で、子宮と卵巣の全摘出をしなければならない状態だったのです。妻も私も落ち込みました。私にとっては「子宮内膜症」ということばそのものが始めて聞くものだったので、最初のうちは膜の炎症程度にしか思ってなかったのですが、医学書やインターネットで調べるうちに、全国の何万人もの女性たちがこの病気で悩んでいるということがわかりました。子宮を摘出したあとが大変で、ホルモンのバランスが上手くいかず、いらいらしたり、更年期症状が始まって精神的にダメージが起きやすいとか、声が太くなるとか、けっこう深刻な病気なのです。

妻はといえば手術を目前にして、全身麻酔から二度と目が覚めないのではないかという恐怖で不安がっていました。中学生の息子を残して、まだ死にたくない、死にたくないと悩んでいましたが、手術を避ける選択の余地はもう何もありませんでした。

四月二十三日、妻は二時間半の手術を受け、無事にこの世に帰ってきました。手術後、医師より説明があり、卵巣二個の内、一個を残せたので、少しは後遺症も和らぎますよ、といわれ、ホッと一安心でした。全部無くなってしまったらかわいそうでなりませんでしたから。しかし、取り出したばかりの子宮と膿腫を見せられたとき、あらためて失ったものの大きさ、尊厳、を感じました。



約二週間の入院の後、新緑がとてもまぶしい五月のゴールデンウィークに妻は退院して、我が家に帰ってきました。



その1年後に会社が倒産するとはまったく想像だにしておりませんでした。
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【2012/06/12 11:41】 | 第3章 子宮内膜症
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