ゼネコン倒産、南の島移住、宮崎帰郷、転職8回、メラノーマ(悪性黒色腫:10万人に1人のガン)闘病中、職場復帰、何度転んでも立ち上がる56歳のおとうさんです!死を覚悟してからは強くなった。みんなで楽しく生きよう!
 過去に書いたエッセイを少しずつ紹介していきます。
 

第1章 【仕事は最高、家庭は最低人間だった20代】



私は妻と息子に、心から深くお詫びすると同時に、それでもこんな私を見捨てなかった二人に、心から感謝しています。

 団塊の世代から約十年後に生まれた、私たちの時代はすでに、偏差値至上主義であり、成績さえ良ければ何でも許される、とまわりも私も思い込むようになっていました。一流大学を出て、当時は銀行に次ぐ優良企業であるゼネコンに入社し、東京支店から本社営業本部に引き抜かれ、いかにも順風満帆の人生に見えておりました。

 入社一年目にして、会社の高嶺の花であった妻に一目惚れして、なにげないふりしながらも猛烈にアタックを繰り返し、ついに昭和六十一年三月に無事結婚することができました。これも私にとっては人生最大の喜びでありました。

 翌年には長男も生まれ、幸せはピークに達しておりました。夫であり、父親であるという自覚も生まれ、家族を守って生きていく、頑張るぞ、という気持ちでいっぱいでした。

 仕事の方も順調で、東京をはじめ日本全体がバブルに向かって一直線に進んでいました。会社は、マンション建設から、各優良企業の設備投資、東京湾横断トンネル、本四架橋、と大プロジェクトを受注しながら好決算を繰り返していました。夜は毎晩、会社の金(接待費)で飲みまわり、新宿・銀座・をハシゴしてはタクシーで松戸の社宅まで深夜割増料金を一万五千円もかけてチケットで帰る、という毎日。男としても冥利に尽きる豪遊です。

 ところが、好事魔多しで、良いことばかりは続きません。

会社や通勤でのストレスが溜まってくると、だんだん酒になぐさめられるどころか、日常封印されていた鬼が現われるようになり、健康を心配する妻に、怒鳴っては暴力を振るうようになり、どんどんエスカレートして、ついには泣き止まない赤ちゃんを蹴飛ばしながらまた飲みに出て行く始末でした。

 それでも外面は良く、常に笑顔を絶やさない、仕事のできる、エリートの営業マンとして世間には映っていたはずです。妻は実家に訴えることもせず、青アザを隠しながら、ただひたすら息子を守って、耐え続けておりました。

 冬の寒空の中でも、私に追い出された妻は息子とふたりで、二十四時間営業のファミレスで夜明けを待って、家に帰って来ました。そんな暴力の日々が十年くらい続いたと思います。



 
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【2012/06/12 11:32】 | 第1章 最低人間20代
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介護士お父さんへ
荒井祝昭
いい話を聞かせて頂きました。自民党は介護士の給料を減らす政策を行いました。どうかもう自民党には投票しないでください。〒560-0084大阪府豊中市新千里南町3-1-24-4F荒井祝昭TEL06-6835-3386FAX06-6835-3416

荒井祝昭様へ
yossy610
 介護士の給料は生活保護以下です。

 将来の夢は生活保護!と行っている相談員もいますよ。

 格差社会に、突き進んでいますね。

 コメントありがとうございます!

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