ゼネコン倒産、南の島移住、宮崎帰郷、転職8回、メラノーマ(悪性黒色腫:10万人に1人のガン)闘病中、職場復帰、何度転んでも立ち上がる56歳のおとうさんです!死を覚悟してからは強くなった。みんなで楽しく生きよう!
 昨日に引き続き、今日もレクで銭形平次寸劇をタメしてみました!

 打ち合わせ無しのアドリブだらけで、銭形親分と与太郎に加えて与太郎の嫁さんも急遽登場! Boss(係長)に突然振ってみたところ、さすが元役者、想像以上の演技!女形(オヤマ)をゴリラスタイルでセリフも言葉巧みに演じ、大笑いの嵐!でした。Bossもハマったようです。イイネ!ヨッ!大根役者!

 話は変わりますが、実は4日前からワンコ(ミニダックス10歳)が倒れ、嘔吐と下血を繰り返し、いよいよかもしれない事態となり、救急病院に入院しておりました。

 いつもの動物病院は早朝で開いていなかったので、電話帳で調べ、妻が電話したところ、朝6時にもかかわらずおじいちゃん先生が対応してくれ、「大腸炎」と診断。毎日点滴と抗生物質を繰り返し、ようやく本日仮退院となりました。

 心配しながら帰宅すると、ドアを開けた途端にワンコがゆっくりとシッポを振りながら近づいてきて、私の顔じゅうをなめてくれました。妻も息子も笑顔で・・・涙・・・ヨカッタネ!

 1週間は安静 とのこと。人間と同じです。

 妻の話によると「良いDr」と「そうでないDr」の定義は・・・

 いつも行っていた近所の若いDr.は「犬の病気は飼い主の責任ですよ!ちゃんとしないと!」と責められる

 今回のオジイチャンDr.は話を親身に聞いてくれ、ワンコに話しかけ、「大丈夫だよ よしよし」と飼い主もワンコも安心させてくれました

 確かに飼い主の責任でありますが、生きるか死ぬかの瀬戸際で、困り切って、あげくに最後の頼みに駆けつけた病院でまた責められたら、飼い主も弱ってしまいます。

 妻はオジイチャン先生に「信頼」の称号を差し上げました。

 1年前を思い起こします。ガン(悪性黒色腫 メラノーマ)で入院していた際、担当のDr.は「聞く」ことが上手で、「大丈夫ですよ、最善を尽くしますよ。」と患者の不安を和らげてくれました。患者にとってはウソでもいいから安心できる言葉を待っていますし、信頼関係ができれば、命を預けます。

 Dr.に限らず、どんな職業でも聞き上手で安心を与えてくれる人を「信頼」しますよね!
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【2012/08/26 03:49】 | 第7章 ガン
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今まで書き綴ってきたエッセイを少しずつ紹介していきます。

 第7章 【ガン】



 介護の仕事にもようやく慣れ、ベテランの域に入りかけ、今の職場で(平成23年当時)来月7月一日で4年目を迎える、という6月1日に、地元の有名な皮膚科を受診しました。

それまで気にもかけなかったのですが、右腰部にいつのまにかほくろができていて、痛くもかゆくもなかったのですが気付かぬうちに2センチほどになっていました。お尻に近かったので湯上がりに三面鏡でしみじみ眺めるまで全く気にしておりませんでしたが、黒色にちょっと茶色が混ざっており気持ち悪かったので行きつけの医院に高血圧の薬をもらいに行った際、なんとなく相談してみました。先生もながめながら、ただの加齢によるものでしょう、とおっしゃっていたただきましたが、念のため専門の皮膚科に紹介状を書いておきましょうと言ってくれました。3日後に紹介状が届いたので、宮崎でも朝早くから並ばないと午前中に診てもらえないお医者さんを朝7時に並んで訪問したのです。

高名な女医先生に診ていただいたところ、これは外科的な治療を要するかもしれないので、県病院を紹介しますとのことでした。唖然としながらも、ことの重要性にはまだまだ気付かず、なんやねん、という感じで紹介状をいただいて帰りました。

六月六日に県病院に紹介状を持参し、受診し、基底がんの可能性があるので月末に手術で生体検査をしてみましょうと、日時まで決めて帰りました。ところがその夜8時頃に、自宅に県病院の先生から電話がかかってきて、ひっかかるところがあるので、明日朝もう一度来院してくださいとのことでした。

翌日もう一度診てもらい、悪性黒色腫(メラノーマ)の疑いがあり、ここで手術しても検査は宮医大で行うことになるので、二度手間にならないよう宮医大を紹介します、といわれました。ようやく私自身もアレッ?と思い始め、もしかして俺ガン?と頭をよぎりました。高血圧の人はガンにならないはず、と思っていたし、親戚にもガンはいなかったよなぁと見回してみました。もう仕事どころではありません。微熱でも大騒ぎする私ですから、ガンとなったらどうなるんじゃ。死ぬのかな、生命保険はどうなっていたっけ?親より先に逝くのか、親不孝者だな、でも悔いの無い人生やりたい放題やってきたから自分としては思い残すことはない、墓はどうする、金が無いから奄美の美しい海に散骨するか、などと一晩考えました。

次の日、県病院の紹介状を持って宮崎大学医学部付属病院に行きました。紹介された教授からは加齢によるものだから心配いりませんよ、と笑顔で診断していただきほっとしました。が念のため、生検しましょう、とその場でほくろの上下1センチずつ幅4センチ長さ6センチほど若いドクターから切除されました。

一週間後の6月15日、結果を聞きに医大に行きましたが、水曜日で妻もパートが休みだったので一緒にドライブがてら向かいました。車中では悪性だったらどうする?なんて笑いながら運転しておりましたが、教授の診断は「悪性でした。」の一言。・・・なんとなくホッとして笑顔と半泣きをこらえながら先生の話を伺いました。顔は引きつっていたと思います。

これで休める、身体を休ませることができる、と安心したのです。というのも、4年にわたる介護職の仕事で腰痛やストレス・不眠・責任感と、本当に介護は必要なのか、という葛藤が積もり積もって、薬の量が次第に増えていき、安定剤2種類・睡眠導入剤4種類・降圧剤2種類・鎮痛剤と胃薬・その他ビタミン剤等、薬漬けの身体になっており、最近では坐骨神経痛・高血圧・肩こり・頭痛に加え、幻聴まで聞こえるようになっていたのです。

例えば、夜寝ているときに足元に添い寝していた犬が「ねむいんだよぉ」といったり、夜中に何かのものすごい力で右足を引っ張られて脂汗を書きながら必死に抵抗したり、ベッドに仰向けに寝ている自分に何者かが圧し掛かって来て身動きのとれない金縛り状態になったりして、夜寝るのが怖くてたまらなく、薬に頼って眠ろうとしていたので、それも多量の薬をのんでやっと寝付けるぞ、と心に言い聞かせながら布団に入る毎日でした。

メンタルクリニックにも毎月相談に行き、事情を説明すると、幻聴というのは自分の心の声を自分で発しているのだそうです。そういえば、夜勤の際にも、仮眠室でよく、「おい」とか「起きろ」「おはよー」と、どすの聞いた声をかけられ、目が覚めることがたびたびありました。まわりにはだれもいないのです。仲間のみんなも体験したことがあるので、幽霊の仕業だろうといえわれておりましたが、実は、起きなくちゃいけない、という使命感が頭の中にあって、自分で声を出していたのでしょう。

また、ホームドクターを受診した際には毎回点滴を施行していただき、酷使している身体をだましだまし使っていたので、4月のある日、先生からいわれました。「あなたの身体は悲鳴をあげています。」「このままではいつ職場で倒れるかもしれませんよ。」「悪いことはいいません、明日にでもハローワークに行って下さい。介護の仕事はすぐにやめてください」「いつ死んでもおかしくない身体です」。いつ死んでもいいや、職場で死ねるなら本望だ、なんてかっこいいことを考えておりましたが、実際は少し自信喪失し、怖い、という観念も芽生えてきていました。

だから、悪性のがん、と告知された時には、これで正々堂々と仕事を休める、神様からの休暇の贈り物だ、と一安心したのでありました。ガンといわれて喜んだ。尋常な精神状態ではありえないことですよね。ここまで追い詰められていたのですね。とにかく休養がとれることになりました。

それからは手術を前に、PET‐CTを撮っていただき、転移の可能性を調べたり、血液検査、レントゲン、呼吸量の測定、など事前検査をしてから手術に向かいました。若い先生でしたが、とても親身になって、私の疑問にはすべて納得がいくまで時間をさいて説明してくれました。この先生なら命を預けようと決心がつきました。

手術は、前に生検手術をした部分のさらに上下1センチずつ広く切り取るというもので合わせて合計6センチ幅が切除されることになりました。長さも13センチ程切除です。同時に転移を調べるために右そけい部をセンチネンタルリンパ節検査というリンパ球を採取する手術も施行するということでした。すべて先生に任せて、心配はありませんでした。

手術はうまく済み、リンパ節への転移も認められませんでした。

翌日には尿管の管も外せて少し動けるようになりましたが、腰からぶら下げているドレーンという管から少量ずつ浸出液が出てくるので、首から袋に入れてぶらぶらさせながら少しずつ歩く練習を始めました。動けるようになると、早く退院したいものです。寝たり起きたりしていたもので、夜が全く眠れなくなりました。夜中の1時に目が覚め、散歩もできないので、カーテンで仕切られた自室の椅子に座って、じーっと考え事をしながら夜明けを待ちました。ラウンドしてくる看護師さんたちは暗闇で椅子に座っている私を見ては「眠れないんですか?」と優しく声を掛けてくれました。

2週間の入院予定でしたが、耐えられず、先生に現状を訴える手紙を書いて、患部の消毒を自分でおこなう仕方を教わり、通院を前提に、10日間で退院させていただきました。

十日ぶりに自宅へ帰ると、大事にしていた観葉植物も妻の水やりのおかげでみんな無事でした。犬も元気にしっぽをふりふり迎えてくれました。

一ヶ月ほどで職場復帰できると心積もりしていたのですが、先生からの説明でこれから3ヶ月間インターフェロンの治療を行うとのことでした。インターネットで抗がん剤治療の副作用がひどく現れるのを知り、絶対に受けないぞと決心し、断るつもりでいたのですが、職場に赴き、その旨伝えて職場復帰させて下さいと嘆願しましたが、再発防止のためにもやるべきことは全部やってから帰ってきてくださいと諭され、どうしても仕事がしたいのなら、就労許可証をもらってきてくださいといわれました。

よし、許可証をもらって仕事復帰するぞ、と意気込んで七月二十七日に医大にいくつもりでしたが、前日の夜、一晩中考え、もし再発したらステージが進み生存率も一気に減ってしまうし、職場としても爆弾を抱えた人間を働かせるのには抵抗があるだろう、まわりに迷惑をかけながら働くのは自分としても本意ではないと考え、当日先生ともう一度話し合ってみようと決意しました。当日は妻と一緒に医大に行き、不明な点や副作用について質問を投げかけ、その都度先生は丁寧に応えてくれました。あとで時計を見ると、一時間半の時が経っていました。結局、抗がん剤治療を受けることに同意し、病院を後にしました。

治療は十日間毎日インターフェロンβを注射し、三週間自宅療養し、また十日間入院し注射を打って三週間休むというクールを3回繰り返すというものでした。職場には休職願いを提出し、治療に専念することにしました。先生との信頼関係も出来ていたので心配は全く無くなっていました。

8月中旬から十日間、1回目のインターフェロン注射のための入院が始まりました。患部の周囲4箇所にフェロン2CCを分散して注射するというものです。静脈注射とは違い、皮下注射のため、痛みはかなりのもので、叫びたいのを必死にこらえて、ときどき涙が出るほどでした。副作用は、風邪と同じような症状が出るようで、微熱と関節痛、めまい等がありました。病院にも慣れてきたので不眠症もなくなって、夜は良く眠れました。リストバンドを右手にはめておりましたので、どこで倒れても識別できるため、安心感があり、すべて病院に任せようという依頼心で安心していたので、安定剤も睡眠薬も必要ありませんでした。施設内はすべて行動規制もなくフリーでしたので、朝9時の注射が終わるとすぐに散歩に出かけて体力の回復を目指して徘徊しておりました。

9月中旬から2回目の入院、フェロン注射。

10月中旬から3回目の入院、フェロン注射。これで3クール終了。退院です。

季節は夏から秋に変わり、パジャマも夏物から冬物になっていました。

累計30本、120箇所のフェロン注射の副作用は、吐き気、味覚の喪失、血圧低下によるめまい、手の指の角質化、頭痛などが現れました。これは事前に調べてあったのであまり気にしなくて済みました。そのたびに主治医が対応してくれましたし、看護師さんたちも理解してくれていたので、守られている、という安心感だけで充分乗り越えることができました。また、同室にいた患者さんたちも皆、皮膚がん、白血病といった人たちばかりでしたので、お互いに情報交換しあって、なぐさめ合っていました。

ガンになった人たちは、一定の苦悩の時期を過ぎると、心の整理がつくのか、異口同音に、「ガンになって良かった。」と思う日が来ます。私自身もガンになって良かったと思えるようになりました。死と直面し、涙し、家族や仲間の励ましに感謝し、自然の美しさをあらためて発見できるようになり、すべてのことに素直に感謝できるようになりました。

病院のまわりは緑が多く、ひときわ大きな木がありました。「私が死んでも、この木は残る。木は動くことはできなくても、季節の変化に耐え、いつまでも人々を見守ってくれる」、と思うと、自然に手を合わせ、みんなの幸せを祈るようになっていました。宗教にはこだわっていませんが、自然崇拝の気持ちが沸いてきました。

ガン患者の多くが、転移をし、入退院を繰り返し、希望と絶望の淵に立ち、それでも笑顔を忘れず、仲良く、感謝しながら亡くなっていきます。残された家族を気遣いながら。

壮絶な戦いの結果、生き延びる人たちも大勢います。失ったものよりも、残されたもののありがたさをかみしめ、生まれ変わったように笑顔で前向きに生きようとします。25歳以下のガン患者で作っている「STND UP」という冊子を病院で見つけ、読みました。仲間同士で情報交換しながら、交流会を通じて、励ましあい、新しい人生の意義を見つけ、一生懸命生きていく姿に、涙なくして読めませんでした。また、その堂々とした姿勢に感動を覚えました。

入院中に私が気付いたことは、医者や看護師、ヘルパーさんたちに「世話されている」のではなく、「守られている」ということでした。みんなが私を守ってくれている、と思うと、自然にありがとう、という言葉が出てきました、そして、いつかは私がみんなを守る、守りたい、という気持ちが芽生えてきました。本当に「ガンになって良かった」と思います。

ただひとつ気になったのが、日野原先生の百歳特集のテレビ番組でした。末期ガン患者の緩和ケアを取り扱ったものでしたが、先生の優しさ、寄り添うケアで患者に最後の力を引き出し、笑顔で感謝しながら死んでいくというものでした。一般の視聴者には感動ものでしょうが、ガン患者がこの番組を見たら、やっぱり最後は死ぬのだな、と暗い気持ちにさせてしまいます。先生の姿勢にはとても素晴らしい思いやりが感じられましたが、番組の構成に問題があるのではないでしょうか、多くの視聴者にはすばらしい企画ですが、ガン患者にとっては見たくない、見せたくない番組でした。



【2012/06/12 12:03】 | 第7章 ガン
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